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計画通りではないけれど

会社名に違わずのんびりとした毎日を過ごしている。

 

せっかくなので会社設立にまつわるあれこれを書き留めて、次の角を曲がってみようと思う。

 

 

昨年9月、夫が33年勤めた日本テレビを定年までの4年を残して辞めることに決めた。

入社1年目23歳で結婚、直後に息子が生まれ、彼は24歳で父親になった。

その3年後には娘が生まれるのだが、その頃の彼の計画ではふたりの子どもが大学に行ったとしても自分が50になる前には卒業している、そこからは子どもや会社に縛られない生活を始めるつもりだった。

 

大学で舞台美術を学んだ彼は、入社後ドラマや歌番組、バラエティ番組やイベントのセットからCGまでと幅広くデザインを行なってきた。入社直後のバブル絶頂の頃は、ほとんど家に帰れない程の忙しさだったが、早々に子供も生まれ充実した日々だったと思う。そんな彼も50の声を聞く頃には子会社の管理職という立場となり、会社ではデザインやアートディレクションから少し離れた仕事が多くなっていった。そしてそれに比例するように、会社以外で(自宅で)自分のアイデアをどんどん具現化していくようになっていく。大鼬鼠拳銃郎の見世物小屋はその頃誕生している。

結婚当初の予定で50歳前に会社を辞めているはずだったが、何事も計画通りにはいかないのが面白いところ。子どもたちはふたりとも一浪し大学に入学したのはいいとして揃いも揃って大学院まで進んでしまった。さらにコロナ禍の休学2年を含めると息子はなんと11年間も大学に籍を置いていたのだ。

 

ということで彼は、息子が紆余曲折の末Dr.の学位を手に入れたその年に、当初の目論見から6年程遅れて会社を辞した。

 

とにもかくにも、お疲れ様でした。

これからが始まりです。